えみため日記 

日はまた昇る! 言霊のさきはふ國 神づまり坐すこの國に 生まれたことのしあはせを♪

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2008.03.31

逃げろ羊??

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洗脳支配』のつづきです。
私たちの國は、独立してなどゐなかつた?幻想の檻にとらはれてゐただけ??”
檻、を仕掛けたのはなにもGHQが最初ではない、明治維新もまた、外からの力に依るものだ。ほんたうは”維新”などなかつた。旧来の支配システムがそのまま温存されて今日の”勝ち組”にまで至つてゐるのだ。”勝ち組”は、外にゐる御主人に忠実に仕へ、國民の生み出した富をさしだしてゐる‥
 といふ論は、とくに目新しいものではないかもしれません。すでに多くの憂国の士たちが著書やブログで訴へてきたことです。が‥私にとつての新知識は、その”勝ち組”を”薩長勢力”とよぶことで、戦前と戦後がすつきりとつながつたことでした。

それからすると‥”薩摩”からまかり越した『篤姫』の描かれ方、ちょっと冷めた目でみてみるテスト‥(^^);

 徳川三百年の太平の世は、憎らしいばかりに周到に組み上げられた支配システムの賜物でした。幕府を倒した薩摩、長州はその支配システムをそつくり受け継いで”新”政府を作ります。開国、廃藩置県、帝国議会の設置‥などなど”近代化”を推し進めながらも、律令制以来の官僚制度を装ひを変へて存続させ、徳川一族はじめ旧勢力も”貴族”として支配階級に温存して、実質的な”武家支配”をつづけ独自の”勝ち組”ネットワークをひろげていく。
 日本とは「平民が政権を取ったことは一度もない」國だつた。
さらに、明治政府は、当初から”外資”によるファイナンスで成り立つ政権だつた。その本質は、戦後になつても変わつてゐない。
 真に憂へなければならないのは、情報が遮断されて、世の成り立ちが私たちに隠され見えなくされてゐること、そのため知らないうちに奴隷の境涯におかれてゐることだ‥
決して”平民”を容れることなき”勝ち組”ネットワーク(だからホリエモンは潰された‥)と、それを外から支配する”外資”から、二重に搾取されつづける羊の私たち。

 著者苫米地英人は、”洗脳経済”に論を進め、國民の預貯金が政府に”とれるだけとって返さなくていい金”として使ひ放題に使はれてゐる特別会計のからくり、御主人たる外資に國民の汗の結晶を貢ぎ物として差し出す郵政民営化の真実を、平易な言葉で説き明かします。”金融工学”といふ名の悪知恵を駆使して成り立つ”資本主義”社会の現在、借金から莫大な富が生まれるしくみ、”サブプライムローン”問題とは何なのかを。
 そして著者は断言します。「貯金はするな!馬鹿を作るテレビと教育を疑え!」連中は人間の弱いところ、”煩悩”を狙つてくる。欲望を刺戟して消費させ、富を吸ひ上げる。「操作されるな、みずから消費をコントロールしろ!

 巻末、著者は興味深いことを提示します。
大衆は『あの世』に逃げ始めた
富の大半を握る”この世の君”たちも、”あの世”を支配することはできない。擬似的なあの世であるネット上の情報空間に、あたらしい世界をつくることができればあるいは‥。
苫米地英人は情報通貨”ベチユニット”を復活させ、迫り来るIMF支配に抗しようとしてゐます。
逃げろ羊たち!情報空間の彼岸に‥??
(なんか既視感があるな(^^); 「攻殻機動隊S.A.C 2nd Gig 」みたいな?結局そこにいくのかな‥)
 
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今日、最寄りのスーパーが閉店しました。
町が老いた、ということなのかな‥
最後に、あざみの花を買いました。


2008.03.26

草の心得

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『ノーカントリー』、ヤな感じ‥
みるまへにみておきたい、何か盾になるやうなものを‥と、本屋をのぞいてみつけたのが、苫米地英人の一連の著作でした。
なかでも近刊の『洗脳支配』が強力!

(ビジネス社刊 2008年3月1日第1刷発行 3月11日第2刷発行 1300円+税)

苫米地英人氏といへば、脱洗脳のエキスパートとして有名。前著「洗脳原論」「洗脳護身術」もカルト集団の洗脳からいかに脱するかに力点がおかれてゐましたが、この「洗脳支配」は日本といふ国に仕掛けられた”経済洗脳”にスケールアップ。
「私が経済をテーマにして本を著すのは、ライフワークと位置づけたGHQの洗脳から日本人を解放するための端緒になると考えたからです」
と書いてをられますが、2006年7月発行の「脳と心の洗い方」の終章にも”戦後日本はGHQがつくった幻想の国だ!”と指摘されてゐます。助走段階、といふところでせうか。‥もうちよつと早く走り出してよ(´・ω・`)‥

昭和21年(1951年) 9月8日調印、翌年4月28日発効のサンフランシスコ講和条約で日本は独立した」とわたしたちは教科書で習つたけれど、「果たしてそうだろうか?
 苫米地英人氏は、ひとつの大きな疑義を投げかけます。
氏はサンフランシスコ講和条約の英語原文に注目し、わたしたちの”理解”とことなり、日本を一個の独立国とみなす記述はないことをあきらかにします。
「驚くべきことにサンフランシスコ講和条約の最後の一文は、こうなっています。
"DONE at the city of San Francisco this eighth day of September 1951, in the English, French, and Spanish languages, all being equally authentic, and in the Japanese language." この一文を発見して私の正直な感想は『やられた!』です。もしかしたらこのことに気がついた日本人は55年たって私が最初ということなのでしょうか?」


氏によれば、この条約は英、仏、スペイン語版のみが正文として効力を持ち、参考として日本語版を付したといふもので、日本という領域内での自治は認められるが、独立した日本国としての対外主権を認めるものではない、といふのです。
 しかし、吉田茂首相は「この条約により日本国が独立国家としての主権を取り戻した」と国会に報告してゐる‥この意図的な”誤訳”もまた、聯合国の意志であつたであらう、と氏は推測してゐます。

 情報を遮断し、幻想の檻の中で羊を飼ふこと。

これが聯合国による戦後日本の情報操作であり、それはいまだにつづいてゐるのだと。

目眩をもよほすやうな現實ですが、みとめぬわけにはいきますまい。憲法の定むるところによれば、民は主権者なのださうですから‥民草の心得として。

吉田茂の説得により野党からただ一人全権として参加した保守第二党民主党の苫米地義三最高委員長(著者の祖父)」は条約の内容に疑問を持ち、署名をしなかつたさうです。
      大ポカをしました!↑ここ「日米安全保障条約」と訂正します

 ここまで主に「脳と心の洗い方」に依りました。「洗脳支配」について、また項を改めまして紹介させてください。ほんたうに恐ろしいのはこれから‥

ノーカントリー」をみてきました。
タイトルからして、”厭な感じ”がします。
できることなら、みたくはなかつたが‥

 映画冒頭、眼の前にひろがるテキサスの荒れ地‥ 
荒涼美、とでもいふのか‥
みなれた日本の風景とはあまりにちがふ、緑のとぼしい乾いた土地。
じきに観客は、その地面の上に、おびただしい血のしただりを観る。
無造作にころがる人や犬のむくろ。蠅の羽音‥

 これが世界だ。観ろ。

 取引の行き違ひからか、互ひに殺し合つた男達の死骸にでくはした男は、そこにあつた大金を持ち逃げし、殺し屋に追はれる身となる。しかし観客の注意をひいてやまないのは、がんばれよ、逃げ切れよ、と応援される立場の男より、彼を追ふ異様な風体の殺し屋でせう。
 取引の金を持ち逃げされた組織の依頼を受けて追つてゐるわけでもない。金を返したところで許さない。はたからみれば理不尽そのものでしかない、彼独自の論理でどこまでも標的を追ひ、死を与へずにはおかない彼‥

 コインをトスして表か裏かをいはせ、うまく当てればみのがしてやる、こともある。
それすらあなたの恣意ぢやないの、と追はれる男の妻は恐怖に震へつつも殺し屋にいふ。
 彼は生身の人間といふより、死と暴力の象徴のやうだ、と評者は口を揃へます。
わずかな”自由意志”をみとめてやるかにみえて、結局は残酷に人間を翻弄する。

 このうへもなく酷薄な、俺たちの神を味はへ。

 老いたる人にはもはや理解不能な、わけのわからない暴力がはびこるアメリカ社会を嘆いた、重い文明批評の映画だ‥ととらへてゐる向きもあるやうです。

 けれども‥痛みと嘆きをともにするやうなポーズをみせながら、實際にこの映画が、観るものに刻印しようとしてゐるものは何なのだらうか?

 血と暴力に倦み、みずからの無力に嘆息する老保安官は、妻に夢の話をする。
亡き父と、寒い荒野を馬で行く夢‥見失つてしまつた父が、しかしあたたかな火を燃やしながら自分を待つてゐてくれる気がする‥

 これは、多くの評者がいふやうな、かすかな希望、なのでせうか?

 私には、力の暴風がふきすさぶこの世に、お前らかよわい羊どもの居場所はない。
あの世の夢でもみるがいい、とうそぶいてゐるやうにしかみえません。

 タイトルは "No Country for Old Men" ですが、Old Men とはすべての人のことでせう。
だれもが歳をとるのだから‥Old Men とは、土地に根ざして暮らしを紡いできたすべての人のこと‥
 前半分、をおぎなへば、これは完全な文章になるのでせう。
"When the New World comes, there is No Country for Old Men." と。

 そのことを、諦観をもつてうけいれよ、と胃の腑に重く残るしこりとともに刻み込む。
さういふ映画、としか思はれない。

 監督はたしかにすぐれた職人です。マスターピース、とよびたい完成度です。

 しかし毒です。

2008.03.22

草さやぐ‥

 臺灣の總統選で、國民黨の馬英九候補が當選したやうです。
今日のチベットは明日の臺灣!の危機感は、どうせその日がさけられないなら、犠牲を少なくして”無血開城”にもつていかう‥といふ現實主義に振り子を押しやつたのでせうか。
 それは明後日の日本!といふ聲がふつふつとあがつてゐるのに、”上”が腐つてゐるのは悲しいかな日本の常‥。それでも民草は、黙々と各々の責をはたす。それもまた日本‥

”日本には世界一の一般人がゐる”と言つた人がゐる。日本のここが好き、といふ外國の人の聲をあつめた本でしたか。
”日本軍は兵と下士官は素晴らしいが、上が腐つてゐる”と言はれてゐたとも聞きました。
 草は勁い。

容量オーバー?追記ができませんので、のこりをあらためてこちらにかきます。

3/16の項で、「私の國語教室」の「序」を抜き書きしました。ここで福田恆存は「私が書くほかのものを讀まなくてもいいから、これだけは讀んでいただきたい」「國語に關心をもちなほしていただきたい」と読者に懇請しています。福田恆存が生涯をついやして書いたもののなかで、これだけは、ほかのどれをおいても読んでもらいたい、ただ一冊の本だというのです。
「そうか、歴史的かなづかいの本か」と軽い気持ちで買いましたが、この序文の異様な
”熱”にただならぬものを感じました。文中、ときおり熱い蒸気がぼこっと噴き出すように、
一體、これはどういふわけか」「その言ひ分がふざけてゐる」「しらふの人間の言葉とは考へられません」「全く人をなめてをります」と激しい言葉が混じる。
この人はほんとに怒っているのだ。この人の大切なものを踏みにじるヤツが許せないんだ‥”と思ったことでした。
しかも‥辛いことに、この”大切なものを護る”戦いは多勢に無勢、というより個々の論戦では圧勝といっていい勝ちをおさめているのに、なぜか勝負の大勢がうごかせない。それはテキの多勢には、おびただしい数の無關心の人々も結果的に力を貸しているから。
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私の國語教室」は、序と追記をのぞくと六つの章からなっています。
一字一音、一音一字の”表音主義”を標榜する「現代かなづかい」の矛盾を指摘する第一章「現代かなづかい」の不合理、「歴史的かなづかひ」がかえって合理的でまなびやすいことをしめす第二章「歴史的かなづかひ」の原理 第三章「歴史的かなづかひ」習得法
ここでおわってもよさそうなものですが、著者、いや論客福田恆存はさらに念をいれる。
 なぜなら、”表音主義”の盾ではしのぎきれないとみるや、國語改良論者は
「発音どおりに表記するなどと誰がいったか。現代かなづかいは正字法であり、現代語の音韻を代表するものだ」 とのたまうからです。

「え?ナニ?音韻?」なにやら専門用語らしきものをもちだされると、シロートの頭には霧がかかってしまいますがちゃっちいアタマですみません(^^);  音韻とは、実際に発音している音声ではなく、たださう發音してゐるのだと思ひこんでゐる、もしくはさう發音しようと思つてゐる、いはば言語主體の心理のうちにある音の單位を意味する のだそう。分かるかそんなもん。飛び道具とはヒキョーなり。
 この國語改良論者がもちだす西洋わたりの”音韻論”に照らしても、「歴史的かなづかひ」のほうがよく日本語の音韻を代表していると、第四章「國語音韻の変化」第五章「國語音韻の特質」の二章をさいて論破しています。
ただし、國語國字問題について一般的な知識が得たい向きは、三章以下をとばしてもらってかまわない、と序でことわりがきがあります。たしかによみやすいとはいえない‥(^^);

ただ、その場合でも第六章は追記と共に必ず讀んでくださいとも。
第六章 國語問題の背景では、「國語改革」推進派の意図と手口、それがいかに誤れる考えに依っているかが暴かれます。(なるほどテキはその手でくるか!)
事実をいつわり、火のないところに付け火する
(ほらっ漢字と仮名遣いのせいで日本語はこんなに混乱しているぞ!) 
俗耳に入りやすいことばかり聞かせて、本当の目的は隠しておく。
「現代かなづかい」も「当用漢字」もすべて政策にすぎず、それらを通じて彼等が命がけで追求している目的は何かと言へば、それは國字の徹底的な表音文字化であります。漢字を全廢して、かな文字かローマ字にしてしまはうといふことであります。
近代的でない、国際化にのりおくれる、と外圧をたのみにする。
(タイプライターにのらないから漢字をやめて日本語を表音文字化する??この手が幾度つかわれたことか。現にいまだって、日本の人権意識は立ち後れているとかなんとか)
人権擁護に名を借りた「人間蹂躙法案」の危機にさらされているいまだから‥読んでほしい。読むべきです。(`・ω・´)なんて強引に。ごめんなさい‥もう読んだ!(・∀・)という方もまーだだよ!(^-^)という方も、いまという時期に(また)読んでほしいな‥と祈る気持ちです
おなじことが、繰り返されている。この「國語改革」のときも、そしていまも、日本破壊の流れが、ワタシたちを押し流そうとしている‥

 巻末に、福田恆存全集覺書四がオマケで附いています。
 二中時代の恩師である時枝誠記博士をはじめ「國語改革」反対の行をともにした人々のこと、死の間際まで「國語問題」のことを心にかけていた鴎外森林太郎のことなどを綴り、その末尾に曰く

 かうして幾多の先學の血の滲むやうな苦心努力によつて守られて來た正統表記が、戰後倉皇の間、人々の關心が衣食のことにかかづらひ、他を顧みる余裕のない隙に乗じて、慌しく覆されてしまつた、まことに取返しのつかぬ痛恨事である。しかも一方では相も變らず傳統だの文化だのといふお題目を竝べ立てる、その依つて立つべき「言葉」を蔑ろにしておきながら、何が傳統、何が文化であらう。なるほど、戰に敗れるといふのはかういふことだつたのか。 

 この言葉は、福田恆存の絶望の言葉でせうか? 敗北宣言、なのでせうか?

 この最後のことばが胸に残つて、江藤淳の「閉ざされた言語空間」や三島由紀夫の「文化防衛論」などの”類書”を手に取るやうになりました。
 敗れし國の民であること、戰はいまだ熄まず、かたちを變へた戰にいまも敗れつづけてゐること。あらためて、日本とは何だらうか、守るべきものとは何なのだらう‥などといふことを思つたり。
 何処でかは忘れましたが、福田恆存はかう言つてゐたと思ひます。
日本を守るとは、この俺を守るといふことだ
この俺のなかに培つた言葉の精髄、これこそ俺の守る日本だ。さういふ自負と自覺の言はしめた言葉と思はれます。さうして、福田恆存の言葉はいまも生きて、私たちのところへ届いてをります。

‥しかし。ここに漕ぎつけるまでに三回、”保存”のたびに入力が消えてをります。(´・ω・`)
字数が多すぎるせゐでせうか?

 や、しばらく空いてしまいました!
今日は春の真ん中、てことでテンプレ替えてみました(^^)
そうそう、おいてけぼり?の16日の項にもカキコです。福田恆存せんせいのご本は、いいかげんに紹介できない!ときんちょうしてしまった‥

そんな法案反対だ!と識者が声を上げても、イヤそんなんかなんわア、と一般人がつぶやいても‥”なにかの力”でゴリ押しされて法の施行が始まってしまう。大切なものが失われていく‥

戦後すぐにもそういうことがありました。(あったと聞いています^^;)もうあらゆることがひっくり返されたなかで、ことに日本人にとって切実、なはずの言葉の表記、
『仮名遣ひ』が「現代かなづかい」に改められた
歴史的合理性、一貫性をもった仮名遣いを、どうして「現代的」にあらためる必要があったのか、十分な議論も尽くさず拙速に。
この「現代かなづかい」と戦い続けた文学者福田恆存の戦闘の書『私の國語教室』(この教という字も旧字体で変換できません。以下引用部分も著者のかいたままでは表記できないことをおことわりします)。いまこれを読み返すことはおおいに意味があると思います。先人、かく戦ひき。

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                            3/20追記
私の國語教室」は福田恆存のタメイキからはじまっています。

 最初に樂屋話をしますと、私はこれを書きはじめるまでに既に百枚近くも無駄にしてをります。二十枚位までがやつとで、それから先を書きつづける氣がなくなり、改めて別の入口から書きはじめる。そんなことばかりやつてゐるのです。十數年の文筆生活において初めての經驗であります。これは一體どういふことなのかと、さすがに考へこんでしまひました。

と、ひどく書きあぐねているようす。書きたい意欲はじゅうぶんにあり、書きたいことも山ほどあるというのに‥で、ようやく次のことに気がついた、と。

 私の筆が進まない理由は、これから書かうとする内容にあるのではなく、また私自身における意慾の不足にあるのでもなく、私が語りかけようとしてゐる人たち、手つとり早くいへば、一般讀者の側にあるのです。

ドクシャに喧嘩売ってますか、福田先生(^^);

 言ひがかりのやうですが、率直にいつて、それは本當なのです。一般讀者といつても、これが發表される雜誌の性質と私の職業から考へて、それは文學に關心をもつ讀者といつていいでせう。私はさういふ讀者を頭において書きはじめる。さうすると、決つて二十枚近くまでゆくと、厭になるのです。書く氣力を失ふ。それは一種の劣等感に基づく不安なのであります。すなはち、書きはじめて暫くすると、相手が私の話を聽いてゐないのではないかといふ不安が頭をもたげてきて、それが大抵二十枚目くらゐで最大限度に達し、うんざりして筆を投げるといふわけです。といつて、私は讀者を他に選びたくはない。それどころか、おそらく國語や國字の問題に關心をもたないであらうさういふ讀者にこそこれを讀んでもらひたいのです。私が書くほかのものを讀まなくてもいいから、これだけは讀んでいただきたい。さういふとはつたりじみて聞えませうが、もちろんそんなつもりはありません。他の私の文學論や創作と違つて、これは誰にも即座に役だつことだと思ふからです。そこで私は自分の心構へのためにも、「私の國語教室」の讀者を次のやうに規定します。
一 作家・評論家・學者、その他の文筆家。
一 新聞人、雜誌・單行本の編輯者。
一 國語の教師。
一 右三者を志す若い人たち。

「現代かなづかい」や「当用漢字」を制定した国語改良論者たち(国語審議会)は、反対論にたいしては「文学主義」「唯美主義」と攻撃し、大衆の味方です!とばかりにこちらは「実用主義」だと宣伝しているが、文学者はなにも「文学的」でないから反対しているわけではない、「語学的」に正しくないから反対しているのだ。國語學の專門家として最も信頼すべき人時枝誠記博士の厳しい批判に、国語審議会はまともに向き合おうとしない。どうせ大衆は專門家の論文なんか読みはしない、勝てない相手と会戦することを避けて、勝利を見せやすい場所で宣伝戦をやろうというのだ。

 かういふ事情を考へると、國語問題において、何よりも重大な事柄は、といふより、それを論じる場合、まづ第一に除去しなければならぬ障碍は、一般知識階級のそれにたいする無關心といふことであります。そのために問題がうまく處理されないからではなく、その虚に乗じて、どうにでも勝手に處理されてしまふからです。

 私は昭和三十年、三十一年に、金田一京助博士との論爭の形式において、「現代かなづかい」「当用漢字」の非なることを述べました。そのときに痛感したことですが、その私の所論は當事者、ならびに多くの國語問題研究家をこそ刺戟しましたが、一般はただ喧嘩好きの私が例によって例のごとく新しい喧嘩相手を見つけたくらゐにしか思つてくれなかつたことです。大抵の人が喧嘩の事實は知つてゐても、私の文章を讀んでくれてはゐないのです。しかも、論爭は「水掛け論」あるいは「泥仕合」の樣相を呈してきたなどどいふものまで出て來る始末でした。讀んでゐないから、さういふのであつて、問題は讀んでくれぬことにあり、讀んでくれないのは、關心が無いからであります。私はかならずしも國語學の知識がないからだとは思ひません。

 結局は關心の有無といふことにあります。關心が無いため、あるいは關心があつても、その焦點が異るため、國語についての同じ知識が、國語改良論者に都合のいいやうに動かされるといふ結果になつてゐるのではないでせうか。私は國民一般にとは言はない、右に規定した人々にお願ひします、國語問題に、そして國語に關心をもつていただきたい、あるいは正しく關心をもちなほしていただきたい。もちろん、自分たちの國語に無關心でゐることは、普通には健康であることの證據なのです。文學者の場合ですら、さうであります。何事によらず、自意識過剰は一種の狂氣でありますから。が、他に極端な自意識過剰が、狂氣が存在するとすれば、どうするか。私は國語改良論者は狂信的であるといふ海音寺潮五郎氏の言葉に同感です。たしかに國語國字問題には、いや、一般に言葉といふものには、下手にこれに對すると、人を狂的にする何ものかがある。言葉は誰にとつても身近にあるものです。言葉は自分の外にあつて、しかも自分の内にある。自分の肉體と同樣に、自分の意のままに操れるものであり、しかもどうにもならぬものであります。したがつて、それは人を自意識過剰に導き、自慰に墮せしめる。さういふ誤つた過度の關心が問題を推進し、現實を動かしてゐるのです。それゆゑにこそ、私たちもそれを阻止するために、一度は國語問題に關心をもたねばならぬといふわけです。

                     (強調、下線などは���݂�1が任意に入れております)
「國語問題」を「人権擁護法案」とおきかえれば、今のワタシたちの状況そのまんま。”誤れる過度の關心”を人権擁護にそそぐ勢力が、多くの人々の知らぬ間に”問題を推進し現實を動かさうとしてゐる‥”
状況、はなにも変わってはいないのですね。国をこじあけられたそのときからずっと。
漢字を廃止し、ヨーロッパの言語を国語にしよう!という動きは幕末からすでにあった。
前島密さんや西周さんの目から見れば、言葉を欧化することこそ、西洋列強に伍する最短の道にみえたでしょう。
そして敗戦。動きはぐんと加速した。アメリカ教育使節団は、煩雑な漢字の使用が日本の民主化を妨げていると報告、日本語の”簡素化”が占領政策のひとつになった。漢字制限、表記の”表音”化‥それは最終的には日本語の廃止まで視野に入れていたはずです。

さて、「國語改良論者」たちは、あるときは改革の目的は表記の表音化にあるといい、表音化という語が警戒されるとみるや音韻がどうの、と論を左右にして言い抜けようとする。業を煮やした福田恆存は、テキの「重砲陣地」を個別撃破していきます。

(うわっまた消えた!保存、すると書き足した部分が消える?!?)

「人権擁護法案反対!」できーっとなっていたもので、まったく眼に入ってなかったのが「児童ポルノ規制法」の動きです。うう、バカ‥
もちろん、こどもを性的に玩弄することなど許せるものではありません。
が、だれもがうなずく大義名分のウシロに、ミョーなものがちらちら。

”児童ポルノを所持しているだけで処罰
何が児童ポルノなのか、の線引きもあいまいなまま、もってるだけで‥って、
冤罪の山をきずいて刑務所をいっぱいにしたいのですかいまでも満杯、ですか‥
ていうより、あれも人権侵害これも規制、と縮こまって暮らしていくことそのものが”収容所列島”‥
 

"児童ポルノの定義としてアニメや音声なども考慮の対象に(推進派議員談)
‥って、なし崩しに表現の分野にまで縛りをかける ニッポンが誇るコンテンツ産業に打撃は必至。つくる側が萎縮する、というより社会が、人の心が萎えてしまうよ‥ 人権擁護法案と同工異曲の人間蹂躙法案がつぎつぎ
こりゃ二正面作戦、どころか包囲殲滅戦だあ

ハーハー、おちつけ自分。

あちこち歩いて、こんなブログに行き当たりました。ここで紹介?されてもご迷惑でしょうが(^^)‥表現する側の人、鳥山仁さんのブログ「王様を欲しがったカエル
日頃政治に無関心で、児童ポルノ規制法の足音を聞いてあわてている”初心者”諸君、このくらいは知っておこうね、と法案推進の背景などを説明されています。
”推進団体”のうさんくささ‥これも人権擁護法案にそっくり。
���݂�1にとっての”サルでも分かる?児童ポルノ規制法”でした。

まえに”���݂�13月15日に日本の言論が死ぬ?と書きました。下の方にちょこっとですが。
15日に法案の提出が決まってしまえば通っちゃうんだ!ニッポン終了!(´・ω・`) と
思い込んでいましたが‥すみません、勘違いだったようです。

丸坊主日記」のコメント欄で指摘されていたのですが、”それは3年前のこと、
時期が同じ頃だったので、15日という数字が独り歩きしているようだ”とのこと。
申しわけありませんでした!

(^^); ということは、まだ声を上げる時間はある、ということですね?
ひきつづき”3・10の緊張感で”反対の声を広げていければ、あるいは!

ここですこしおさらい。

3/10 いわゆる人権擁護法案提出に反対する要請受付国民集会

3/11 第四回人権擁護問題等調査会  
    元人権推進審議会会長 塩野宏東大名誉教授のヒアリング
    ↑この調査会の詳細を検索しても出にくくなってる。ネットも情報規制?
     という疑問の声がコメント欄に寄せられていました。
     MSN産経ニュース2008.3.12
    「人権擁護はポストモダン?推進役の東大教授に異論噴出」の記事あり。


   ↑ニュースサイトは更新が早かった!ごめんなさい! 
   地方議員さんたちのブログ草莽崛起3/12の記事をごらんください。


3/14 第五回人権擁護問題等調査会 
   反対派の百地章日本大学教授と推進派の山崎公士新潟大学教授のヒアリング

‥というのがここまでの経緯。

春の嵐 (水間政憲)

2008-03-14 21:43:45

永田町に吹いた、民意の風は、今、春の嵐となってインターネット上に広がっているようです。インターネットも規制されているとの書き込みがありますが、どうも事実のようですね。皆さん、書き込むときのタイトルに「人権擁護法案」を使用しない方が「検閲されず」得策かと思いますが、如何でしょうか。検閲している、確実な証拠を時間をかけてでも掴むことができれば、法務委員会に所属している馬渡議員に提供して、国会で取り上げていただけると思います。今年になって久し振りに、『SAPIO』(26日発売号)の原稿を書き上げました。タイトルはまだ決まっていませんが25日の深夜に、ここに書き込みさせていただきます。人権擁護法案関連でないですが、スクープになる内容ですので読んいただければ幸いです。来週、要請書の整理を一気に進め、今後の展開によっては、皆さんの御期待に添った第二弾の企画を戸井田先生と相談して進めて参ります。今は、この国を守るのは、我々しかいないとの気持ちを共有して、一人でも多くの国会議員に手紙を書くことが有効と思っております。ジャーナリスト水間政憲。転載フリー



『SAPIO』といえば小林よしのり氏と業田良家氏。ゴーダまんがによるわかりやすい「人権擁護法案」解説をYouTubeから。

 マンガで覚える人権擁護法案(言論弾圧法案) 投稿者 hiroseTakeo

人権擁護法案ヤバス!だけど何をしたら?”というネット上の危機感を、このたびの法案提出反対!要請受付国民集会がぐっとひきつけて封書の山!という目に見えるかたちに変換し、さらにつぎの行動へのスプリングボードになったということ‥

マスメディアの完黙、という異様な状況で、ネットが人をつないで現実をうごかす力になろうとしている‥!

戸井田とおる議員のブログ「丸坊主日記」のコメント欄をどうかごらんください。
時々刻々、このうねりに加わるひとたちの生の声がつたわります。
そのコメント欄から引用。

忙殺されてます。 (水間政憲)

2008-03-13 13:14:35

今年は、偽装人権擁護法案のことで、戸井田先生といろいろな思いを巡らしていて、すべてを偽装人権擁護法案を潰す出発点としての「要請受付国民集会」一点に集中しておりました。イメージしていたようには、なっていませんが、皆さんのお陰でなんとか、闇空に穴を開けることが出来たと思ってます。閉会後、郵送された封書を前にして、数十人の方に説明しましたが、敵は巨大ですので細心の注意を払って進めなくてはならないのです。そこに第三者が勝手に入り込む隙は、善意であろうとなかろと無いのです。これは、武器を使用しない情報戦なのです。今、分裂したが「新しい歴史教科書をつくる会」立ち上げの記者会見の「会場の予約・マスコミ対策、当日の司会進行」を、一人でした経験のすべてを今回投入しました。今後もあの手この手で、敵は攻めてきますので、ここで手を緩めてはいけません。インターネットの力を知らしめなくてはならないのです。上でどなたかが言ってましたが、手紙は強力な武器です。自分に置き換えると良く解ると思います。知り合いの編集長は、「一通の手紙の後ろに100人の読者が居る」と判断しているとのこと。まだまだ頑張りましょう。ジャーナリスト水間政憲。転載フリー



思いをおなじうする人をネットがつないでいき、その結び目であるひとりひとりが、目に見え重みを持つものに思いを換えていく→つまり”手紙というのが有効なようです。
反対派の議員さんにはガンガレ!推進派の議員さんにはイクナイ!の気持ちをペンにこめましょう(^^);
エエッ議員さんに手紙?そんなのかいたことないし(´・ω・`) 、と���݂�1もおもっておりましたが‥
ああ、あのとき声をあげておけばよかったのに‥となげく日がこないように‥
���ї�1「れきゆことをすゆれち」

署名は総計8000(下に訂正)ほど、とおききしました。その後の到着分や未開封の封筒に複数枚はいっていたりすれば、1万を超えるのではないでしょうか。ネットだけをたよりに、これだけの人が声を届けようと行動したのですね!
丸坊主日記」の更新が待たれますが、コメント欄が掲示板と化していて、さあ次の行動だ!と気炎をあげておられてたのもしいです。
クシャナさんではないけれど(^^);今やらなければいつやるのだ!ですね。

3・10国民集会の映像をYouTubeにアップしてくださっていました。
「3・10人権擁護法案反対集会1/11」  投稿者 Offmatrix
完全ノーカット版全106分を10分ずつに11分割してあるものの最初をここに貼らせていただいています。YouTubeに入られて、つづきをごらんいただければ、と思います(^^)
この冒頭の10分をみるだけでも、熱気がつたわります。ここにつながっているんだな、の思い‥





その後戸井田議員の更新ブログ(3/13)によれば、総数7000通ほどではないか、スタッフが風邪で倒れてなかなか作業がすすまない、とのことです。
急なとりまとめで、かなりのオーバーワークだったのですね‥
���݂�1のキボウもてつだって、数字がふくらんでしまいましたね。すみません‥
しかし。これから抗議の声はますますふくれあがるものと希望的観測(^^)

お尻に火がつかないと行動に移れない���݂�1ですが、ゆうべなんとか署名してもらえた分を速達で出してきましたよ。当日会場の壇上には積み上げてもらえなかったけど、何かの役に立てば‥
戸井田とおる議員のブログ「丸坊主日記」によせられたコメントを拝見しますと、人権擁護法案の国会提出に反対する要請受付国民集会はたいへんな盛り上がりだったようです。なのに、メディアはすこしもこのことを伝えない
なんで??
へたにつたえると、こんなにだいじなこと、なんで黙ってたの?あーんおかあさんごめんなさい!だから?

悪い子ですね!世の大人たちは忙しいのです。メディアが伝えなければ、何が起こっているかわからないじゃありませんか!
笑いごとではありません。署名のことを切り出してみて、ほんとに知られていないんだ!ということに慄然‥
いやいや、���ї�1の言い草じゃないですが、できることをするのです。
���݂�1が見て参考になったサイトにリンク貼っておきますね!

Wikipedia では「人権擁護法案」の記事が現在荒らしや編集合戦のため記事が保護されている、という異常事態です。いまよめる記事でも、法案のあらましとこれまでの審議について知ることができますが、���݂�1が気になったのはここのところ。

部落解放同盟は同和立法の期限切れにともなう代替法として人権擁護法案の成立を強く推進している。特に朝日新聞社に成立を促すよう強く働きかけを行っており、2005年の通常国会時は専務取締役の坂東愛彦や社会部の本田雅和(ともに肩書きは当時)などが同調し、紙面の論調に反映された。部落解放同盟や朝鮮総連など一部の勢力によって悪用されるという批判に対して、社説において「だが、心配のしすぎではないか」とした。


FrontPage 人権擁護法案ポータルwiki
 このサイトで海外の事例が報告されています。
 イギリス、カナダ、韓国でも、すでに同様の法律が施行されていますが、重大な人権侵害問題が生じているようです。暴力集団の悪行に義憤を発し、警察に協力していた青年が、ブログにそのことを書いたところ、かえって「憎しみと暴力をあおる行為」ときめつけられたとか‥まったく対岸の火事ではないですね。
 やはり、狙い撃ちにされるのはネット言論なのです。

サルでも分かる?人権擁護法案
���݂�1にも分かったおすすめサイト。知識ゼロの状態でも、このサイトの人権擁護法案Q&Aをよむと、冷や汗の出そうなこの法案のアブなさがわかります。

もしはじめてお知りになったというかたがいらしたら、お友達にもおしえてあげてくださいね(^^)

 しまった知るのがおそかった!
「人権擁護法案」反対!の意見がネットでとびかっているのは目にしていました。
でも”じゃあ、阻止するためには何をしたらいいの??”かがわからなかった。

博士の独り言ブログに、法案成立阻止のための「要請受付国民集会」のことが紹介されていました。
���݂�1もあわてて日曜でもあいてる中央郵便局へいき要請書を郵送してきたところです。3月10日必着?とあせりまくって速達でだしてきましたが、郵送による「要請書」は3月10日の消印分まで有効だそうです。
また「国民集会」会場へ要請書を持参することもできるので、お近くの方はぜひ!



       所謂「人権擁護法案」再提出に対する要請受付国民集会

  日時:平成20年 3月10日 (月) 17時より

  場所:憲政記念会館講堂

  要請書はA4の用紙1枚に「人権擁護法案」に対する意見、氏名、年齢、住所 (自治体名まででいいそうです)を記入すればOK  

  当日午前中までFAXでの要望書を受付 FAX番号:03-3508-3325

  郵送は3月10日消印まで有効

  宛先:〒100-0014 東京都千代田区永田町国会内郵便局留置
   「要請受付国民集会」国会内事務局 衆議院議員 戸井田とおる 事務所

くわしくは衆議院議員戸井田とおる氏のブログ『丸坊主日記』をご参照ください。



���݂�1「ううすまんかった! のんきに朗読なんかきいとってすまんかった!あ、いや源氏はわるくない、が」
���ї�1「ちゅぎてちまったことはちょうがないれち。れきゆことをすゆれち」
���݂�1「あしたもだすぞ!てか、頼んでかいてもらう。3月15日が日本の言論が死んだ日!にならないことを祈る‥」

2008.03.08

ぶつぎり‥

 NHKラジオ深夜便のなかの「源氏物語千年紀朗読特集 田辺聖子 新源氏物語」をきいていました。源氏と藤壷の二度目の逢瀬、そして藤壷の懐妊‥
尼君の死をきいて源氏が若紫を迎えにいく場にさしかかったところで
「番組の途中ではありますが」と地震の速報が!

1時55分頃関東地方で震度4の揺れを観測。

”地震”の情報は重要、だというのはわかる。
でも‥あと2分たってからではいけなかったですか?
(いけないですよね、みなさまのNHKだし、報道>娯楽?だし‥)
朗読、あとちょっとで終わるところだったのに‥(´・ω・`) ショボーン
「この地震による被害は報告されていません」って‥

強い揺れではなかった、と安心したからこそいえるワガママですけどね。
切り替えの早い人はいいなあ、とこういう時につくづく思うデス。

このところ2週間、金曜の夜は平穏だったのに‥
3週間のごぶさた? ラジオ深夜便に「源氏」が帰ってきました。

「源氏物語」が存在を確認される寛弘四年から、かぞえて今年は千年めにあたる、ということで「源氏物語千年紀」の催しがいろいろ行われています。

NHKでも、ラジオ深夜便のなかで田辺聖子の「新源氏物語」を毎週金曜深夜(土曜早朝?)に放送しています。放送時間は日付が変わって 2時6分‥ 
ラジオ番組を予約録音する、という手段を持たないので起きているしかありません
���ї�1「いやならきかなければいいれち」
���݂�1「それはそうなんだけどね‥」

活字の字面を目で追う黙読、というのがいわゆる「読書」というものですよね。黙読すらも遅すぎる、脳内で音声化せず写真を撮るように文字をイメージとして瞬時に取り入れよ、という読書法もあるそうですが(フォトリーディングというのだそう)‥ついていけないです(^^);
こんどのラジオで源氏の朗読が放送されるというので、ちょっときいてみた
���݂�1は‥これ、いい!と嵌り込んでしまいました。

田辺聖子さんもTVのインタビューでおっしゃってました。
「耳で聞いてわからへんようなむつかしい言葉、ひとつも使ってませんのよ」
田辺聖子さんの源氏は”耳で聴いてたのしむ”ということを心がけて言葉に磨きをかけた、そういう”創作”だったとおもいます。

「源氏物語」といえば「いずれの御時にか」という、学校で習った冒頭の言葉がうかびますが、田辺源氏はオリジナルのストーリーを大胆に組み替えて、「眠られぬ夏の夜の空蝉」の章から書き起こします。
若い源氏が人妻との逢瀬に夢中になるも、人妻は”逢うは一度限り”と心を決め、ふたたび忍んできた源氏の手に蝉の抜け殻のような薄物一枚をのこして閨をすべり出てしまう‥
この一章は、ちょうど源氏物語そのもののひな形のようにもみえます。

若い(ともう一度書く)源氏の恋の冒険をまず書くことで、現代の読者のをストレートにつかみ、なおかつ、嫋嫋とした恋人たちの息づかいはたっぷりと‥
それを常はおかたいニュース原稿など読んでいるNHKアナウンサー諸氏が、これまた思い入れたっぷりに!演じ‥いや朗読するのがききものです(^^)
これ、おすすめ♪

鹿男」の時間に「バンビ」のDVDなんかみる���݂�1はへそ曲がり。
んー、でもなぜかいままで”ちゃんと”みる機会がなかった。手塚治虫氏は70回以上観たそうですが。(みすぎだ!) これも「鹿男」のおかげかな

ではちょっと失礼。またもどってきてメモします(^^)


みているうちに、遠い記憶がよみがえってきました。
これ、みたことあるわ。山火事になるんじゃなかったっけ‥
そうでした。きっと小さい頃にみてるんですね。で、あの仔鹿の動きをていねいになぞるフルアニメーションに退屈してしまったような???しょーのないがきんちょだな‥

で、あらためてみてみると‥意外と背景はラフに描いているところがあるな、という感じ。動物たちがセルに絵の具のべた塗りなので、背景の質感に凝ってみても、キャラと離れてしまうだけだからなのか。上映時間は70分。2時間越えもめずらしくない今のアニメ映画に慣れてしまうと、あっけないほど短いですが、ストーリーはシンプルでよどみなく流れて、これはこれでいいなと。”森の王様という権威を無批判にあがめている”とかいうむつかしい批評を読んだおぼえがありますが、自然の中で循環をくりかえしながら営々とつづいていく命、というテーマはこどもの観客にもすなおに伝わると思うな

”自然の命のというなら、草食動物を捕食する動物がなぜいない?フクロウだって猛禽だろうが”‥というツッコミはごもっともではありますが‥ おはなしを複雑にしたくなかったんだと思うよ(^^); 

ただ、動物をしゃべらせて人間くさいしぐさをさせる、というコトに関しては、この『バンビ』がぎりぎり許容範囲?という気がする。人に飼われて町中で暮らしている『101』や『わんわん物語』の犬たちはこの限りにあらず、だけど、『ジャングルブック』のように動物にミュージカルをやらせるところまでいくと‥
どこまでが、観る側の信頼感を失わずにいられるか、の綱渡りなんだね。

それと、おまけでついてる「ディズニーとそのスタッフの『バンビ』制作会議」再現、というのが興味深いです。パブリックドメインになって、500円DVDの『バンビ』なんてのが買えるようになりましたから、ディズニーもあの手この手で営業努力(^^);

���݂�1「啓蟄」なら知ってます。ムシがモゾモゾでてくる頃、だっけ?なんて。
イメージがうかびやすいからか、春を待つキモチがつよいからか‥よく話題にのぼったりしますよね(^^)
暦の本では「冬籠りの虫戸をひらく」候だとか。
春の氣が立って、水がうごいて、生きものがうごめきだす‥(春の虫と書いて「蠢く(うごめく)」なのか!) そぞろうれしいはるのおとずれ♪

2008.03.04

宿題。

やりのこした宿題、みたいにひっかかってるので‥(^^)

「A」事件ふたたびです。

「『神戸A事件』被害者と加害者の10年」をみて、あの事件の衝撃とともに、なんともいえない”いやな感じ”を思い出しました。
同時に、なんとも”割り切れない感じ”をも。
番組のなかで、殺害された土師淳くんのお父さんは、Aからの謝罪の手紙を見ても、ほんとうに反省しているのかはわからないといい、山下彩香ちゃんのお母さんは「申し訳ないという言葉はあるんだけど抽象的で、これからどうする、ということがみえない」といっておられます。謝罪の言葉がとどかない、どこかうわすべりな気がする、と。
そこで、岩田校長の疑問を思い起こします。ほんとうにAがやったのだろうか?

あらためて事件の全貌を知るには、公の「調書」をよめばいい、そこには捜査と裁判を経て洗い出された「事実」が書いてあるはずだ‥と思っていました。
そんな思い込みが、粉砕されました。
フジテレビ土曜プレミアムで放映の、映画『それでもボクはやってない』で。
みようみようと思いつつ、劇場へ行きそこねた映画です。日本アカデミー賞の各賞を総なめした”凱旋”放映ですが、TVの電波に乗って、たくさんの人が見たということの意味は小さくないと思います。加瀬亮演じる青年のように、���݂�1だって思っていました。
「裁判は、ことの白黒をはっきりさせる場所」だと。そうではなかった。
警察と検察という国家権力が摘発した”悪”を裁判所が”無罪”とすることは”ない”。
「あらかじめ黒ときめられたものを黒とみとめる手続きの場」だった‥
gotou.gif
「神戸酒鬼薔薇事件にこだわる理由『A少年』は犯人か」2005年1月30日発行 現代人文社を著した後藤昌次郎弁護士は、”ほんとうにAがやったのか?”にこだわりつづけ、警察と検察の”偽計”捜査を告発している人です。

2008.03.03

梅の節句??

ちょっと”桃”にははやいかも(^^)

昨日2日、天皇皇后両陛下は赤坂御用地をおたずねになり、皇太子ご一家と梅の花見を楽しまれたとか。羽毛田長官の「お言葉を大切になさって」発言で、両陛下と東宮家のあいだに距離が?と国民も気が揉めたことでしたが‥
ume.gif
じぶんちの梅で恐縮デス

 ほどけるように暖かくなってきました♪
でも「正月二十四日」です、旧暦では(^^);
凍えるような寒い日もあれば、こんなあたたかな日もあり‥
旧の正月は、まさに「初春」、春の入り口だったのですね。
こんなふうに一年かけて”旧暦”の季節感を稽古?してから、
あらためて古典をよんでみたいな、というのがもっかの希望です。
”わざわざ”努力して”まねび”をしなくてはならないところが、
あらためて昔の人との距離をたしかめているようなものでもありますが。

こよみ

2008 / 03
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